19世紀リアリズムと『小説神髄』

ある学生がシェイクスピアの授業に何回か出た後で、こんなことを言ったらしい。「シェイクスピアは世界で最も凄い文学者だと聞いていたが、幽霊や妖精や魔法の薬といった非科学的なものが次々と出てきて驚いた」
面白い感想だと思う。逆に言えば、彼/彼女には「優れた文学者は幽霊や妖精や魔法の薬を書かない」という観念があったのだろう。夏目漱石は大学生の頃に、『ハムレット』を知り、その内容に感銘を受けたというが、父親が幽霊となってハムレットに会いに来たという場面に関しては不満を覚えたらしい。恐らく、若き漱石には、幽霊のような超自然的なものが文学に必要なのだろうかという問いが頭の中にあったのだと思う。

小説神髄 (岩波文庫)

小説神髄 (岩波文庫)

漱石が大学生になる前に、坪内逍遥は『小説神髄』を出版した。あるべき小説の姿を追求したこの高名な評論は1885年に出され、以後の作家たちに大きな影響を与えた。漱石も藤村もその例外ではない。
逍遥はこう書いている。「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」東京帝大出のインテリである逍遥は様々な文学を知っていた。日本の近世文学も中国文学もイギリス文学も古代ギリシアの文学もある程度は知っていたと思われる。逍遥は井原西鶴の戯曲なども大変好んでいたようだが、『小説神髄』の中で逍遥が最も賞賛するのがヨーロッパの19世紀リアリズムの小説家たちである。リチャードソンといったリアリズムの祖やスコット、サッカレージョージ・エリオットのような小説家を逍遥は礼賛した。逍遥はこれからの日本の文学の中心となるのは小説だと考えていた。小説は演劇や詩よりもより広い幅のある形式である。小説(Novel)と言っても勧善懲悪を描くものと現実の模写を行うものの二種類があるが、後者を取るべきである。これが大まかな逍遥の主張であった。
この『小説神髄』という書が、近代の日本文学の主な流れを決定付けたと言っても過言ではないと思う。文学は人情や世態風俗を描くものである。そして近代文学においては『八犬伝』やギリシア神話のような超自然的なプロットは排除すべきである。リアリスティックなものを逍遥は小説の目指すべきモデルだと考えた。この逍遥の考えは、自然主義私小説作家に大きな影響を与えることとなる。
シェイクスピアを読んで変に思った学生も、亡霊が出てくるプロットに疑問を抱いた若き漱石も、このような『小説神髄』に如実に出てくるような近代日本の写実主義礼賛に影響を受けているのだろう。
逍遥の評論は優れたものなのだけど、ここには一つの捩れがある。昨日、エーリッヒ・アウエルバッハについて少し書いたけれども、18世紀まではヨーロッパにおいては世態風俗を描くことは低俗だとされ、神話や伝説、宗教を描くことこそが高貴とされた。しかし、逍遥以降の日本の文壇ではその順位付けが逆転したのである。世態風俗を描くことこそが、文学者に求められ、神々や英雄を描くようなプロットは低いものとして見なされた。ヨーロッパでは違う。バルザックフローベールといった19世紀リアリズム作家は世態風俗を高尚な文学の域に持ち上げたが、一方で神話・宗教を描く文学というものは消え去らなかった。神話や伝説、宗教は、ロマン主義や世紀末文学においては依然として重要なテーマだったのである。
近代日本でも北村透谷や泉鏡花のように神話や超自然的な物語を重んじる文学者たちもいたが、どうも大正以降の日本の「純文学」はこのようなタイプの小説を押し込めるようなところがあったように思う。このことが良いかどうかはわからないが、私自身は必ずしも好ましくない、とは感じている。
ところで、日本の自然主義私小説は、ある意味では19世紀リアリズムに倣っているが、ある意味では19世紀リアリズムに反している。ディケンズバルザックフローベールといった作家の19世紀リアリズムとは以下の2つの特徴がある。
1小説家が小説内世界における神となり、小説内世界を全て知っている者として現実描写を行う。全能的な語り。
2これまでの文学史においてはないがしろにされてきた、人々の日常的な生活に焦点を当て、細密に日常の出来事を描く。
逍遥以降の優れた自然主義私小説作家は2の点では実にリアリズム的であった。しかし同時に、1の点では反リアリズム的であった。1の点においては、リアリズムはロマン主義の詩やT・S・エリオットの詩、トールキンやルイスのファンタジーなどに近いと思う。近代日本においては、小説内の出来事を全て把握できるような神のような視点を避けて、田山花袋の『蒲団』、島崎藤村『新生』、志賀直哉「城の崎にて」のように自分の知っている限りの出来事や自分の体験を描くことが賛美された。この傾向は戦後まで続いていく。もしかすると今でも続いているのかもしれない。ここにも一つの捩れがあると思う。